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砂糖が軍艦に変わった明治維新

島津斉彬の集成館事業

薩摩藩起死回生の財政改革・天保の改革の主眼は貿易と専売制度であった。金山の開発、贋金鋳造などもあったが、琉球貿易を隠れ蓑にした密貿易と、特産の黒糖販売を徹底的に管理することなどによって財政の基盤を確立。500万両もの借財を250年賦という事実上の踏み倒しで返済、200万両の設備投資に成功した。この成功の上に、島津斉彬は集成館事業を遂行し、目前の西洋列強の脅威に対抗しうる国造りを目指した。思無邪(おもいよこしまなし)。薩摩藩のみならず、日本を列強の侵略から防がんがためである。

しかし、この斉彬の危機意識は藩全体に共有されたものではなく、その死後攘夷の風潮におされて洋式の近代化事業は縮小される。こうした藩の情勢が覚醒されるのは、薩英戦争であり、身を以て西洋すなわち近代と対峙したことで、その方向性が定まっていくことになる。

産業の近代化を可能にする経済システムの構築

その頃ペリーを派遣して日本を動揺させた当のアメリカは南北戦争の戦火で国土を焼き、戦場となった南部の特産・綿は国際的に高騰、薩摩藩はこの機に国内の綿を買占め、巨額の利益を得る。また南北戦争終結後は不要となって流通した小銃を大量に購入、家臣団に強制的に割り当てることで軍備改革を遂行、あるいは南北戦争で南軍側が受けとるはずだった軍艦を薩英戦争後急接近したイギリスから購入する契約を結んだ。このように開港後の国際情勢を資金源にして薩摩藩は戊辰戦争を勝ち抜き、明治維新の推進力となった。世界と繋がることで、薩摩藩は自己革新を遂げた。

いち早い軍備の近代化、それを支える豊富な人材と藩一丸となった組織力、さらに、資金を生み出す経済感覚が薩摩藩には備わっていた。外国と対峙したとき、政治改革のみならず、産業の近代化を可能にする経済システムの構築に成功したのである。

維新を成し遂げたことで藩はなくなり、戊辰戦争で活躍した志士たちは、その方向性をめぐって10年後、敵味方に分かれ西南戦争を戦う。戊辰戦争のとき薩摩藩の主力艦だった春日丸によって鹿児島のまちは砲撃される。西南戦争の犠牲の上に日本は近代化の旗を掲げて明治という時代を進んでいった。薩摩の先人が成し遂げた明治維新から今日150年目を迎える。

砂糖が軍艦に変わった明治維新

原口 泉

志學館大学教授

志學館大学人間関係学部教授
専門は日本近世史・近代史であるが、南九州(特に薩摩藩)や沖縄(琉球)の歴史に詳しい。 専任講師時代より各種テレビ番組の時代考証・解説(近年ではNHK大河ドラマ「篤姫」の時代考証)や多数の公職を務める。

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