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いま×薩摩vol.8

他所者(よそもん)が薩摩の歴史を語ることの意味

冒頭から白状すると、自分は薩摩の生まれではなければ、育ったことさえもない。薩摩の人達からすれば、自分は薩摩弁でいうところの「他所者(よそもん)」である。そんな自分が紆余曲折を経て就いた今の仕事は、世界遺産となった旧集成館をはじめとする薩摩の歴史を日本中にわかり易く広めていくことである。

 

「よそもんにかごんまの歴史の何がわかっとが?!」との声が聞こえてきそうだが、気にしない。歴史を知るには主観的だけでなく客観的な視野も重視されるからだ。客観的な視野を通じて知られざる薩摩の歴史を発掘し、これを薩摩の人達に知ってもらい郷土愛を育む糧として役立ててもらうことが、他所者である自分にしかできないことだと弁えている。

 

地元では「薩摩は閉鎖的で、他所とは交流しない地域」との理解が定着している様だが、それは全くの誤解だ。その誤解を解く根拠を一つ挙げる。島根県石見に「奉行飯」と「げたのは」という食べ物があるのだが、前者は南薩の「鶏飯」、後者は薩摩の銘菓「げたんは」と非常によく似ているのである。薩摩が石見産の銀を調達して海外貿易を行い、山ヶ野金山(霧島市)が石見の人によって発見された山であったことを鑑みても、薩摩と石見の間に深い繋がりがあったことがうかがえる。

 

もちろん、主観的な視野も歴史を知るのに必要となる。ただ、他所者の自分がこの視野を体得するには膨大な時間がかかるため、薩摩の人達から学ばなければならない。薩摩の人達と共に学びあい、共に維新150周年を迎える薩摩を盛り上げていきたい。

いま×薩摩vol.8

山内 勇輝

尚古集成館 学芸員

長崎市生まれ。2015年から現職。専門は江戸時代の対外交渉史。特に薩摩藩における洋学の受容について関心がある。好きな食べ物はとんかつとカレー。公休日になると両者の美味しい店を探して市中を巡り回ることがある。

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