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いま×薩摩vol.20

西郷南洲翁の教えを子供たちに

平成30年は明治維新から150年、大河ドラマ「西郷どん」。

西郷さんは、薩長同盟、大政奉還、明治維新と日本の新しい時代を切り開いた中心人物。

維新後も明治政府で日本の近代化への様々な改革の礎をつくる中心となった。

 

子どもの頃、桜島を見て育ち、城山、甲突川、錦江湾、照国神社や西郷さんの銅像の辺りは遊び場であった。

同級生は勿論、歳の上下関係なく、それは、江戸時代薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育(年長者が年下に教える)と同じで、子供会で道路の掃除や、城山登山などで心身を鍛錬したのが懐かしいよき想い出となっている。

母校の鹿児島市立山下小学校の校訓は「負けるな」「うそを言うな」「弱い者をいじめるな」。

喜寿を迎える今も、薩摩の教え「負けるな、嘘を言うな、弱い者をいじめるな」「泣こかい、跳ぼかい 泣こよかひつ跳べ」は自然と身についているのではと自負している。

また、「南洲翁遺訓」は西郷さんの心に打たれた庄内で編纂されたものである。

江戸城は無血開城されたが、官軍(新政府軍)に抵抗する奥羽列藩はその後も戦いを続け、会津落城に続き庄内藩も降伏。庄内藩は、かつて江戸の薩摩屋敷を焼き払い数十名の藩士を殺害したこともあり、藩主以下切腹覚悟で降伏会議に臨んだ。しかし降伏条件の伝達式は厳粛かつ庄内藩主以下の体面を失することないように執り行われた。

西郷は、「戦い終わればそれでよいのだ。後は同じ日本人ではないか、新しい日本を作る同志ではないか、今更敵味方という時期ではない」と温情と寛容を示した。

庄内藩士は、その降伏に当たって寛大公正な温情あるみごとな戦後処理に西郷さんの仁徳(敬天愛人)に敬慕し、再三にわたり教えを請いに遠路鹿児島を訪ね、西南の役で西郷さん死後、その教えを後世に伝えようと明治23年1月『南洲翁遺訓』を刊行し、全国を行脚し、広宣流布に尽力された。

 

「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。

天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」

 

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し」

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」など我々に最も欠落した箴言に訓えられるのである。

いま×薩摩vol.20

田之頭 稔

薩摩士魂の会 理事

1940年鹿児島市生まれ。東京在住。
一般社団法人薩摩士魂の会理事。一般社団法人国家ビジョン研究会顧問。
島津日新公の「いろは歌」・「南洲翁遺訓」を行動指針とし、日本人の精神作興に寄与し、世界人類の愛と平和に貢献することを念願し微力ながら活動している。

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