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大久保利通生い立ちの地 (鹿児島市) 鹿児島市

大久保利通生い立ちの地 (鹿児島市)

西郷と平等、建立者の意思伝える

二人の偉人、西郷隆盛と大久保利通の最期は不幸なものでした。
西南戦争という形で対峙した際、二人のみならず肉親や同郷のものが立場を二分して戦うことになりました。
明治22年の憲法発布に伴う大赦令で、西郷隆盛の賊名が削られ正三位の追贈を受けたことを契機に、東京にいた下加治屋町出身者が発起人となって二人の旧宅地に記念碑が建立されました。
立案に際しては、記念碑と碑文を全く同等に扱うこと、同種同数の樹木を植えることなどの顕彰を平等に扱う配慮とともに、「総て虚飾を省き質素にして専ら萬古不易を旨とすること」とされました。今同所を訪れると、当時の建立者たちの意思は今に伝わっているように思えます。

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