辺見十郎太は、西南戦争の中盤、西郷軍の主力部隊が宮崎方面に向かう頃、水俣方面から進撃してくる政府軍を高熊山(鹿児島県伊佐市大口)を中心に堡塁を構築、迎えうちました。 アームストロング砲などを用いて砲火を浴びせる政府軍に対し、辺見らは巨石なども転ばせて応戦しましたが、退却を余儀なくされました。高熊山山頂の巨石には無数の弾痕があり、戦闘の激しさを今に伝えています。