薩摩川内市川内高城温泉
【偉 人】西郷隆盛
【泉 質】硫黄泉(硫黄型)
【適応症】アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、慢性湿疹、表皮化膿症など
【参 考】一次史料なし(2016年現在)
【時 期】弘化元年(1844年)頃、明治期にも訪問したと伝えられる
【足 跡】西郷さんの愛犬の墓、西郷どんの腰掛石、西郷どんの踏み石、西郷どんの手水鉢、島津忠義公御滞在・西郷隆盛来訪石碑など
維新エピソード
・西郷さんは現在の双葉旅館「旧五助屋」を常宿としていた。
・元湯(共同湯)に入浴した際は浴槽の隅に入り真ん中でお湯に浸かった事はなかった。
・旧富士屋には西郷さん愛用の碁盤があり碁盤の裏に「南洲」と書かれていた。
・部屋の中に陣幕を張り、外から室内が見えないようにしていた。
・島津忠義公と村田新八が西郷さんを迎えに来た。
備考
肥満体質であったと言われている西郷さん。明治期(口伝)での高城温泉来訪時、狩りに出かけていたという話はダイエットや体作りの目的もあったとすれば説得力があります。しかし弘化元年(1844年)に高城温泉を訪れたとされる説は少し無理があるかもしれません。高城麓にかかる妹背橋の工事に訪れた当時の西郷さんの年齢、役職から考えると史料や記録に名前を残るような人物ではなかったと考えられます。弘化の頃、西郷さんは高城温泉には来ていないとするのが妥当な歴史解釈ではないでしょうか。しかし県内外の温泉地に残る西郷伝説が高城温泉に数多見る事が出来るのは興味深いことで、西郷縁温泉地の集大成が川内高城温泉でもあるのです。狩りに出かけた、碁を打った、風呂は隅っこに入ったなどなどいかにも西郷さんらしいエピソードが残っているのが川内高城温泉。数多くの西郷伝説の数々が川内高城温泉の魅力のひとつなのかもしれません。
〒899-1802 鹿児島県薩摩川内市湯田町