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特集「坂本龍馬」

特集-坂本 龍馬

坂本龍馬

幕末明治維新期に活躍した多くの人物の中でも、坂本龍馬は知名度も人気も高い人物です。土佐藩(現・高知県)の藩士だった龍馬は、文久2(1862)年に藩を飛び出し浪士になりました。幕臣の勝海舟に弟子入りして神戸海軍塾の塾生となりましたが、塾が閉鎖された後は、薩摩藩に保護されていました。

日本の中で争っている場合ではない

薩長同盟

龍馬は、日本国内が開国派と攘夷派で争っている現実を見て、日本の中で争っているよりも、一致団結して西洋諸国に対応しなければならないと考え、薩摩藩と長州藩にはたらきかけて薩長同盟を取り持ちました。
その後は土佐藩を動かして、幕府に大政奉還を実現させるなど、明治維新において大きな活躍をみせました。しかし、明治維新直前の慶応3年、京都において暗殺されました。

龍馬と鹿児島城下

坂本龍馬の薩摩藩入りは、3回とも4回とも言われています。そのなかでもある程度の行程を辿れるのは2回のみです。その2回とも訪れた場所は、鹿児島城下です。慶応元(1865)年に来た際には、大乗院(現在の清水中学校)近くの威光院に亀山社中の仲間たちと滞在したといわれています。また、慶応2(1866)年には妻お龍とともに家老・小松帯刀の別邸(お茶亭)に宿泊しています。やはり薩摩藩の中枢だけにゆかりの地も多いのでしょう。

出水筋(薩摩街道)

慶応元(1865)年に鹿児島城下に入った坂本龍馬は、5月16日に大宰府に向かうために参勤交代の行列も通る出水筋(薩摩街道)を国境の関所である野間之関まで歩いています。途中、川内川を船で渡り、市来湊(いちき串木野市)や大川宿(阿久根市)に宿泊しながらの旅でした。

日本で最初の新婚旅行

龍馬は、慶応2(1866)年3月に妻のお龍を伴って温泉地・霧島での湯治を行いました。これは日本最初の新婚旅行とも言われています。
湯治先となった塩浸温泉は、薩摩藩の西郷隆盛や小松帯刀によって紹介された場所です。龍馬はこの旅行の前に京都・伏見の寺田屋で襲われ傷を負っていたため、手傷に適応する泉質の温泉をしょうかいしたのでしょう。また、この旅では高千穂峰にのぼったり、六所権現(霧島神宮)へ参詣をしたりと、霧島の風景を満喫したようです。

やっぱい温泉が良かどなあ
坂本龍馬が活躍した足跡を辿る


鹿児島

1
小松帯刀別邸
屋敷のある地域は、江戸時代には尾畔と呼ばれる景勝地だった。そこに小松家の別邸があり、現在の桜島の望める庭が当時の様子を静かに伝えてくれる。
2
野間之関
薩摩藩の関所は、入国はもちろん、出国も厳しい監視体制に置かれていた。特に往来の多い薩摩街道の関所は、難関といわれ、坂本龍馬も土佐藩を脱藩した年に入国できなかった経験があるともいわれている。
3
日当山温泉
西郷隆盛が、一番愛した温泉としても知られる温泉には龍馬もお龍とともに訪れている。それは霧島へ向かう途中と帰りの途中で、数日ではあるが宿泊している。ちなみ龍馬を訪れた時期に、西郷も明治政府のもとで奈良県知事などに就任した税所篤とともに訪れている。
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