幕政改革の限界を感じた薩摩藩は、雄藩長州と軍事同盟である薩長同盟を結びます。 慶応2(1866)年、薩長同盟の締結の立役者である坂本龍馬は、伏見の寺田屋にて幕府役人に襲撃されて手に傷を負い、治療と潜伏を兼ねて鹿児島に入ります。 その際に妻お龍も同伴しており、霧島の塩浸温泉などへ旅行に出かけます。 これが日本初の新婚旅行とも表現されていて、高千穂峰登山も楽しみました。