薩英戦争時、本陣は千眼寺(せんげんじ)に置かれ、 島津久光、忠義はここで指揮をとりました。 実際鶴丸城にはイギリス艦隊からの砲弾が飛んできています。
千眼寺は山城万福寺の末寺で黄檗宗寺院。 文化2(1805)年に島津重豪が開かせ、 重豪の肖像も安置されたといいますが、明治2(1869)年には廃寺となりました。