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西郷南洲流謫の地 奄美大島

西郷南洲流謫の地

島津斉彬の死と西郷の潜伏

次期将軍も対立する大老・井伊直弼が決定し、「安政の大獄」の激化する中、安政5年(1858)年、藩主斉彬は急死。
一橋派のひとり清水寺の僧・月照をかくまおうと薩摩まで連れてきた西郷でしたが、斉彬死後の薩摩藩は急速に保守化しており、西郷は月照の身を守れないことに責任を感じ、共に鹿児島湾に身を投げました。
月照は亡くなりましたが、西郷は命を取り留め、奄美大島に潜伏させられることになりました。
斉彬の死後は集成館事業も縮小を余儀なくされます。

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