南洲翁遺訓が刊行されたのは明治23年、山形県の人々の手によるものです。 での庄内藩に対する寛大な処置に対して西郷隆盛を慕った旧藩士らは、 明治3年以降鹿児島を訪れ、明治8年には当時鹿児島の武村に住んでいた西郷のもとを 元家老・菅実秀ら8人が訪い交流を深めました。 この様子は「徳の交わり」という像にもなっています。 西郷の死後、その言葉を集めまとめたのが菅実秀を中心とした方々であったのです。