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重富沖(姶良市) 姶良市

重富沖(姶良市)

五代友厚はイギリス船の捕虜に

非常時における冷静な判断でしたが、その後潜伏生活を余儀なくされた寺島宗則と五代友厚。
文久3(1863)年鹿児島湾で勃発した薩英戦争において、戦闘状態の直接のきっかけとなったのはイギリス側による薩摩藩所有の蒸気船3隻の拿捕(だほ)でした。
寺島宗則は船奉行の任もあり、蒸気船の湾外退避も進言していましたが、必要性を認められず重富沖に繋留となっていました。
交渉が決裂すると英国側は蒸気船を賠償金の担保として拿捕。
しかし寺島と船奉行副役であった五代友厚は船に残っており、イギリス船・アーガス号の捕虜となりました。
二人は戦闘前にも英国と戦うことの無謀さを藩に主張していたため、イギリスとの内通のうわさもたてられており、横浜で釈放されたのちも、英艦に通訳として乗っていた清水卯三郎の世話で、幕吏や真相究明のために二人の行方を探す薩摩藩から逃れる潜伏生活を送るのです。

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