松木弘安(寺島宗則)は天保3(1832)年に出水郷脇本(現鹿児島県阿久根市脇本)に長野祐照の次男に生まれ、藩医であった伯父松木宗保の養子となります。 幼いころからの養父との長崎暮らしや江戸での遊学を経て島津斉彬の下では集成館事業に従事、文久元年には幕府の遣欧使節随員となり、慶応元年の薩摩藩英国留学生派遣の際には引率の任を果たします。 明治政府でも外交官として活躍しました。 寺島の姓は脇本の海岸にある島からとったもので、松木家の目の前にあります。