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赤倉病院跡(鹿児島市) 赤倉病院跡

赤倉病院跡(鹿児島市)

鹿児島で医学生が育った場所

ウィリアム・ウィルスは、幕末から明治にかけての薩摩藩と深いかかわりのあるイギリス人です。
薩英戦争(文久3(1863)年)の際には英国軍艦に同行しており、鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩の負傷者の治療にもあたっています。
明治元(1868)年に薩摩藩が浄光明寺跡(現在の南洲公園)につくった医学校の校長兼病院長として招かれ、旧薩摩藩士の娘と結婚、子供ももうけました。
医学校はその後小川町滑川沿いの赤レンガづくりの洋館へ移り、ウィルスは明治10(1877)年まで多くの医学生を育てました。
今は石碑が残るだけですが、この建物が倉庫のように見えたので赤倉病院と呼ばれました。

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