西南戦争に従軍し右足を膝下から失うものの生還した西郷菊次郎は、 台湾義蘭県知事や京都市長なども歴任、 明治45年に島津家が経営する永野金山の鉱業館長になります。
父西郷隆盛が城山で最期を迎えた年齢を越していた菊次郎。 金山で働く工夫らの子弟の教育に心を砕き、 大正3年には私費で武道館を建て、夜学校も開設しました。
日曜日を除き毎日午後6時から9時まで授業が行われていました。