維新公こと島津義弘は、慶長12(1607)年から元和5(1619)年に亡くなるまで加治木で過ごしています。 その後この屋形(やかた)は加治木島津家の居館となり、明治10年の西南戦争に際しては、鹿児島市街地が戦場になったことから鹿児島県庁が一時置かれました。