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島津忠義公銅像(鹿児島市) 鹿児島市

島津忠義公銅像(鹿児島市)

薩摩藩最後の藩主

茂久(もちひさ)公こと島津忠義は薩摩藩最後の藩主です。
父は島津久光。
島津斉彬のあとを継いで19歳で藩主となりましたが、
就任直後は祖父斉興、斉興の死後は父久光が国父として導きました。

慶応3(1867)年、倒幕の密勅が降ると3千の兵を率いて上京。
王政復古の大号令、小御所会議、続く鳥羽・伏見の戦いの重要局面で藩主自ら赴いていたことは、
幕府の有利に転んでもおかしくない政局において、
薩摩藩のあとにひかない強い姿勢を表しているといえます。
その銅像は洋装ですが、父久光の言いつけに従い生涯髷を切らずにいたと伝わります。

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