念願の藩主就任を42歳という当時としては高齢で果たした島津斉彬。 外国からの圧力の危機を感じていた斉彬が軍備の近代化のために取り組んだものの一つが 大型大砲を製造する「反射炉」の建設でした。 現在土台が残っているものは2号炉のもので、この完成の前に1号炉の失敗があります。 1号炉は現在記念碑が建てられているあたりに築かれましたが、 土台が弱く傾いてしまったといいます。 多くのトライ&エラーを経て集成館事業がすすめられていったのです。