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新納久脩墓(鹿児島市) 鹿児島市

新納久脩墓(鹿児島市)

黒糖の流通改革などに尽力

新納久脩は、慶応元(1865)年に英国へ派遣された藩費留学生らの団長を務めた人物です。
文久3(1863)年に家督を継ぐと、島津茂久(忠義)のもとで軍役奉行に任ぜられ慶応元(1866)年に大目付に就任、引率者として英国に赴いていました。
この間五代友厚らと紡績機器の購入、パリ万博への参加の交渉などを行い、フランスやドイツにも足を延ばしています。明治維新後も藩政改革に従事、明治18(1885)年から奄美の大島郡金久支庁長(島司)の任にあって、島の特産品である黒糖の流通改革等に尽力しました。明治22(1889)年没。

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