安政6(1859)年奄美大島に潜居していた西郷ですが、斉彬の死後、薩摩藩の実権を握った久光の上京に際して呼び戻されます。 しかしこの久光の上京を機に蜂起しようと考えていた過激派をとめるため、久光の命令を無視したかたちとなり、再び徳之島、さらに沖永良部島に配流。 この間京都では、薩摩藩士同士が斬り合う不幸な出来事、寺田屋事件もありました。