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上方限(鹿児島市) 鹿児島市

上方限(鹿児島市)

薩英戦争の記憶が残る場所

寸暇を惜しんで島津斉彬が近代化を施した鹿児島城下の守り。
安政5(1858)年に鹿児島を訪れたオランダ海軍将校カッテンディーケをして
「鹿児島の備えは行き届いている」と言わしめました。

しかし文久3(1863)年の薩英戦争では
イギリス艦隊の砲撃により大きな被害を受け、鶴丸城も被弾。
特に上町地域は硫黄蔵が運悪く被弾したことから火災も広がりました。

現在南洲墓地がある丘にあった浄光明寺も被弾して焼失、
祇園社(八坂神社)や春日社(春日神社)、福昌寺への被弾の記録も残っています

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