集成館事業支えた炭窯
寺山炭窯跡の横に一つの記念碑があります。
島津斉彬がおこした集成館事業の推進の中より火力を得るため作られた炭窯でしたが、その経緯等を当時の国学者・八田知紀が安政5(1858)年2月に記しています。
現存しているのは1基のみですが、現在3基目が建造中であること、斉彬が大きな木を原料として小さな木は将来のために残しておくようにと指示したことなどです。
八田知紀は薩摩藩士であり歌人。
島津貞姫入輿に従って近衛家に仕え、維新後は宮内省に出仕して明治5年に歌道御用掛に任命された人物です。