早逝が惜しまれる人物は多くいますが、中原猶介もその一人です。 中原は天保3(1832)年鹿児島城下上荒田に生まれました。 嘉永2(1849)年18歳のときに長崎に出て蘭学を学び、嘉永4(1851)年に島津斉彬が藩主になると、 その元で軍艦建造等の計画の仕事に就きました。 斉彬の死後免職されると、江戸に遊学し兵学砲術を学びました。 その後、元治元(1864)年に軍賦役になり、戊辰戦争にも従軍しますが、 越後長岡で戦死しました。
中原猶介翁宅址碑