関吉の疎水溝(鹿児島市) 鹿児島市
先人の知恵と技術力の高さを伝える
のんびりとした田園風景の中を走る水路「疎水溝」は島津斉彬が仙巖園の隣地に拓いた近代的工場群「集成館」の動力源・水車を稼働させる重要な役割を担っていました。
元は享保7(1722)年頃に仙巌園への給水を目的として第21代島津吉貴の時代に施設されたものですが、取水口には元禄4(1691)年の水天碑があることから、一部は仙巌園への給水以前から農業用水として使われていたようです。
そして斉彬の時代に工業用水としても利活用されたのです。その取水口は関吉というところにあり、仙巖園までの距離は約7キロ。今も美しい渓谷の風景とともに、先人の知恵と技術力の高さを伝えています。