琉球館跡(鹿児島市) 琉球館跡
薩摩と琉球の役人が働いた場所
辺境の地と思われがちな鹿児島ですが、
外海と接し常に諸外国の文化を受け入れてきた場所でした。
慶長14(1609)年には軍船を向かわせ薩摩藩は琉球王国を支配下にします。
江戸時代を通じて琉球口貿易を行い、城下に「琉球館」を置き、
薩摩と琉球の役人両方が仕事をしていました。
いち早く到達したのは文化ではなく危機もでした。
天保14(1843)年イギリス船による測量の断行、
弘化元(1844)年にはイギリス船とフランス船による通商要求、
さらには弘化3(1846)年にはイギリス船が宣教師を移住させる事態も発生し、
薩摩藩は琉球での事件を通じていち早く外国の圧力に危機感を抱くようになりました。
そしてこのことが近代化をすすめる薩摩藩の集成館事業につながっていったといえます。