陸軍火薬庫跡(鹿児島市) 鹿児島市
西南戦争の火種
不穏な空気に鹿児島が包まれていた明治10年。
それは私学校生徒の陸軍の火薬庫襲撃という形で現れました。
明治9年には熊本、福岡、山口と各地で不平士族の反乱が立て続けに起こっていた状況下で、
士族から慕われる西郷が暮らし、私学校が大きな勢力を持ち、
幕末の軍備近代化の過程で日本で最大級の火薬製造所を有していた鹿児島は危険視されていました。
この火薬を秘密裡に運び出そうという政府側と、
そのことを道理に合わないと実力行使で反撃した一部の私学校生徒の衝突が、
西南戦争のきっかけとなったのです。
今は草牟田墓地となっている場所に、陸軍火薬庫跡の碑が立ち、往時のことを静かに伝えています。