煙硝倉跡之碑というのが、鹿児島市谷山を流れる永田川左岸に建っています。 薩藩海軍史によると、安政5(1858)年に島津斉彬が谷山の中塩屋に硝石場を建設したとされ、写真の碑の横には「元治二年」(1865年)の年号とともに「火神」「山神」「地神」「稲荷」も刻まれた石碑があります。 硝石は火薬の原料でありこれを人工的に大量に製造する場所でした。