お由良(お由羅とも)は幕末の薩摩の実権を握った島津久光の実母であり 「お由良騒動」の名が残る島津斉彬と島津久光の藩主就任争いに際して、 当主島津斉興に強く働きかけたことが推測される人物です。
斉彬の母で斉興の正室・賢章院が文政7(1924)年に亡くなっていたのに対し、 側室筆頭であったお由良は慶応2(1866)年まで生き、その墓は斉興と同じ区画内にあります。