「撃て!」の声が響いていたのでしょうか。 ここ「射場山」跡には、弘化3(1846)年8月に島津斉彬が 洋式砲術の演習を上覧した記録があります。 当時は砂浜であるこの場所での演習は、 実戦さながらであったと伝わります。 現在周辺は埋め立てられ、この射場山だけが当時をしのばせてくれます。