西郷隆盛は二度目の遠島のため徳之島に向かう際、山川港から出発し、一時黒島方面に流されたが、文久2(1862)年6月18日一湊に到着している。1週間ほど滞在したことが同じ罪で喜界島へ流された村田新八の日記にのこる。