造船は島津斉彬が取り組んだ集成館事業の中でも反射炉を築くのと同様に重要視されていました。 斉彬は当時西欧の艦船に対抗できるレベルの船がないことに非常な危機感を抱き、 藩主就任直後の嘉永4(1851)年10月には磯に造船所を築くなどしました。
大正年間にこのことを顕彰した「照国公製艦記念碑」がそのことを静かに伝えています。