理想の国づくりのため奔走した勤王の幕末の志士・平野国臣。 安政5(1858)年に福岡藩を脱藩、活動し、 安政の大獄で京都から逃れてきた僧月照と共に鹿児島に入り、 その後月照と入水した西郷を救助したことでも知られています。 桜田門外の変後の万延元(1860)年10月にも再び薩摩に入りますが、 藩庁から警戒され伊集院で足止め、城下に入ることはできませんでした。 退去を余儀なくされたこの時詠まれのが 「我が胸の 燃ゆる思ひに くらふれば 烟はうすし 桜島山」です。