宇宿彦右衛門は文政3(1820)年生まれの薩摩藩士で、 砲術を学び、島津斉彬のもとで、反射炉製造、蒸気機関の製造など 集成館事業の多くにかかわった人物です。 地雷・水雷の開発にも携わりましたが、 これらの爆発には電信の技術が使われています。
宇宿彦右衛門は電信機の雛形製造を命じられており、 渋谷藩邸や鶴丸城本丸休息所から二の丸探勝園茶室までの間の通信に成功したといいます。
現在探勝園跡には電信使用の地の碑が建っています。