「維新史料」にある「僧月照伝」(明治26年)によると、京都から逃れてきた月照は安政5(1858)年11月7日、鹿児島に到着している。その際、以前から交流のあった清浄光院という人物の元を訪ねている。その人物が住職をしていたとされる寺院が存竜院であった。先に鹿児島に入っていた西郷と月照はこの寺院において再会したものの、藩庁への密告もあり、藩命によって存竜院から俵屋という旅館に身を移すことになる。この碑は俵屋があったことを示すために旧鹿児島銀行本館前にあったものである。