楠木正成は南北朝時代の武将ですが、尊皇の象徴として幕末の志士たちの崇敬を集めました。 薩摩藩でも楠公神社が建てられ、石谷(現鹿児島県鹿児島市石谷町)の楠公神社は、文久元(1861)年、有馬新七が神戸の広厳寺より楠木正成の木像を譲り受けて建立したとも、石谷領主の町田久甫が広厳寺から譲り受けたものを有馬新七らが協議して祀ったともいわれ、どちらにしても有馬新七が関わったようです。 現在は神社跡に記念碑が建てられています。