HOME  >  見る  > 村田新八修養之地碑

村田新八修養之地碑 喜界町

村田新八修養之地碑

喜界島で暮らした村田新八

文久2(1862)年7月2日、西郷隆盛と共に島流しとなった村田新八は、喜界島の湾港に到着しました。港近くには代官所などもあり、当初代官書役の政円宅に入りました。しかし、自身が暮らす家は自ら建てなくてはならなかったため、島民の力も借りながら現在「村田新八修養の碑」のある貴島家の敷地で暮らすようになりました。新八は、島の子どもらに武術や教養を教えるなどしたと伝わっています。元治元(1864)年2月26日、召還命令を受けた西郷吉之助が蒸気船で迎えに来て、新八も喜界島を離れました。

ページの先頭へ