美山(苗代川:現鹿児島県日置市)に調所笑左衛門広郷の招墓があります。 江戸後期薩摩藩の財政改革を行った調所は、もともと作られていた薩摩焼(陶器)と別に新たに染付白磁専用の窯(南京皿山窯)を築いたり、樟脳(しょうのう)の製造にも着手しこの地域の産業の振興を図りました。 薩摩藩にかけられた密貿易の嫌疑の責めを追って自ら毒を仰ぐという不幸な最期を迎えた調所ですが、この墓は彼への感謝の気持ちが人々の間にあったことを伝えているようです。